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世に言うゴールデンウィーク。
カレンダーどおりでも4日休みということで、連休初日に相棒「トレッくん」と長旅をしようと計画を立てていました。
が、前日金曜日に深酒、あんど夜ふかしという失態をやらかし、トレッくんにまたがるのが10時チョイ過ぎ。
う~む(^^;

目的地は兼ねてから行ってみたかった戦国時代の関東の雄「北条氏」の城跡でもある「八王子城址」
以前、「滝山城址」に行ったときに思いのほか城の遺構が残っており、城攻めの難しさを実感したところでした。
八王子城址は滝山城址を造った北条氏照さんの最高傑作と言われているようでしたので、「城攻めファン」の私としてはこれは行かねばと・・・。

八王子城址はその名のとおり東京は八王子市にあります。
ミシュランにも乗った高尾山のすぐ近くになりますので、典型的な山城です(^^;
つまり本丸に向かうには山登りせねばならない。

スタート地点の小金井市から八王子まではひたすら西へ西へと進みます。
先日、途中の立川に新しく巨大家具屋「IKEA」ができたため、駐車場を案内する看板係りの方が国分寺あたりからたっていました。
確かに、立川方面へ向かう車が多い(@_@;)

5月に入り清々しい空気と柔らかい日差しが気持ちよく、のんびりマイペースで八王子へ向かいます。

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■途中の多摩川サイクリングロードの眺め。この日はひっきりなしに自転車が走ってました。

八王子城址に到着したのは12時少し過ぎた頃。
最近なまりきっている体にはかなりの負担となっていたようで、この時点で既に太ももに怪しい軋みが・・・。
間違いなく筋肉痛になるだろうなぁ~(^_^;)

ゴールデンウィークだからか、入口には結構な車が止まっていて、観光客と思われる方々がたくさんいました。
この地域の人たちも北条氏に対する思いがあるのか、「大河ドラマに北条5代を」ののれんがたっていました。
豊臣秀吉に対して最後まで抵抗した北条氏。
その政治は民衆からも信頼されていたようで、北条氏の支配下になって欲しいと願う民衆が多かったと以前何かの本で読んだことがあります。
その政は一大名のレベルではなく、一つの国として存在しうるところまでいっていたのかもしれません。

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■八王子城址を築城した「北条氏照」のお墓。とても頭が良く秀吉も恐れたようで、北条氏が滅んだ際、氏照を許すことはしなかったそうです。

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■八王子城址入口。入口からあからさまな登りとなっていて覚悟を決める・・・。

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■道も狭く、崖が多い・・・。大人数で攻められないような工夫が盛りだくさん。

急な登り坂、狭い道、崖・・・。
かつてない厳しい登りに、既に太ももぱんぱんだったのがさらにぱんぱんに(ToT)
高齢の方も杖を片手に登っており、若い者がひぃひぃ言っている姿を晒すわけにはいかないので、常に笑顔を忘れないように心がける(^_^;)

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■9合目あたりの本丸直前あたりからの眺め。関東平野が一望でき、空気が澄んでいると遠く新宿まで見えるんだそうです。

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■本丸前にある神社。八王子権現。

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■本丸には石碑と社がちょこんとあるだけでした。

八王子城は武田信玄の関東侵略をきっかけに関東の西の軍事拠点として造られたそうです。
武田信玄が関東を攻めるルートはいくつかあったそうですが、小仏峠から侵入するルートと和田峠から侵入するルートの両方に対応できる絶妙な場所に八王子城は位置しているとのこと。

9合目あたりからの眺めは最高で、関東平野が一望できます。
多摩の丘陵地帯が間近に広がりとおく都心部も見えました(´▽`)
苦しい山道の疲れも一気に吹き飛ぶものでした(^-^)

八王子権現を通り、気合のひと上りで本丸到着。
本丸跡は狭く、有名なお城のように本丸に何か大きな建物が建てられた様子はありませんでした。
この八王子城は軍事的な意味あいが本当に強いようで、華麗な装飾や建物があった様子はほぼ見られませんでした。
そんな山城も豊臣秀吉の侵攻によりたった1日で落城。
城に残された人々を秀吉は許すことなく皆殺しにしたと言われており、殺された人々の血が川に流れ込み、赤く染まったとも・・・((((;゚Д゚))))

悲劇の山城攻めを終え、極度の疲労を感じながら一路、小金井市へと帰りました。
久しぶりの往復50キロ超え。
疲れました・・・(;´ρ`)



距離:65.9km 最大標高差:238m
行きはしんどかったですが、帰りは降りが多く爽快でした。
そして、山は登るより降りる方が足に負担がくる・・・ようですよ(T ^ T)